帝国陸軍航空機遭難記念碑
昭和二年(1927)11月28日、栃木県佐野市上空を飛行していた帝国陸軍航空機が、エンジントラブルを起こし、着陸に失敗してパイロットが亡くなった。
この事故を悼む記念碑が、市内堀米橋河川公園内にある。
碑は、事故の翌年、地元有志が建立。
碑文は須永元が撰文した。
令和五年9月23日に撮影した。




上の写真を見ると、碑文を書いたのは黄銕(こうてつ)という人物であることが分かる。
彼は明治28年の閔妃(みんび)暗殺事件に荷担し、日本に亡命した。
山口鉄郎と日本名に変え、詩文・書画をもって各地を漫遊したという。
その後、農商工部協弁となるが、日韓併合後、日本に移住した。
政治を離れ、書画の道に専念した。
須永家とも頻繁な交流があり、書画作品の頒布会も開いている。
佐野には彼の作品が多く残されている。
彼の墓は妙顕寺にある。