万葉集 歌の舞台は秋山川ではない?!
皆様こんにちは
蓬田でございます!
今日も佐野にちなむ和歌を、ご一緒に鑑賞してまいりましょう!
以前、こちらの和歌をご紹介しました。
下野(しもつけ)ぬ
安蘇(あそ)の河原(かはら)よ
石(いし)踏(ふ)まず
空(そら)ゆと来(き)ぬよ
汝(あ)が心(こころ)告(の)れ
万葉集
歌の意味はこんな感じです。
下野の安蘇の河原から
石も踏まずに空を飛んでやってきたよ
君の気持ちを言ってくれ
以前の記事で、この歌は都から派遣された役人が、地元の若者のエピソードを聞いて、三十一文字の和歌に仕上げたんではないだろうか、ということを書きました。
その理由は、地元の若者が詠んだのなら、わざわざ「下野の」という修飾語をつけるのは変だからです。
東京の人が「今日は東京の銀座に行ったよ」とは言わないのと同じですね。
きょうは、さらに考えを深めまして、そう考えるなら「安蘇の」とう表現も不要ではない?!と思いました。
安蘇に住んでいる人が、わざわざ「安蘇」を付けることはないです。不自然ですからね。
わたくしは、こんなふうに考えています。
派遣されてきた役人は「河原の石も踏まないで、女の気持ちを聞きに、空を飛ぶように、会いに行った」というエピソードを、若者本人から直接聞いたか、あるいは間接的に知った。
都からは「こんど万葉集を作ることになり、東国の和歌も載せることになった。ついては、任地のことを詠った和歌を準備するように」という命令が来ていた。
そこで、この「空を飛んで女に会いに行った」というエピソードを知った役人は、「これは万葉集に載せるには、いいエピソードだ!」と思い、三十一文字の和歌に整えて、都に送ったか、都から派遣されてきた役人に手渡したのではないかな?!
そう考えております。
そうしますと、この歌の舞台も通説とは変わってきます。
通説では、佐野市を流れる秋山川が舞台だと考えられています。
これらの写真は、栃本を流れる秋山川です。
2025年8月7日に調査したときに撮影しました。
このあたりは大変に美しい景観で、ここに立っていると、万葉の時代もこのような風景であったかと思えるような素晴らしい自然です。
ここには橋(栃本橋)のたもとに、この歌の碑がたっています。
ここに碑が建っているということは、万葉集を研究している学者、郷土の歴史を研究している人たちは、歌が詠まれた舞台はこのあたりだと比定しているのでしょう。
ところが、上記のように考えていきますと、歌に詠まれている「安蘇の河原」は秋山川という特定の川ではなくて、阿蘇地方にあったどこかの河原と考えるのが自然です。
秋山川かもしれないし、旗川かもしれないし、渡良瀬川かもしれません。それ以外の川かもしれないです。
今後、万葉集に対する研究が進んで、こうしたことが徐々に明らかになっていくのかもしれません。
研究成果を大事にしながら、自分の頭と感覚で接していくのも、万葉集鑑賞の楽しみのひとつだと考えております。
皆様の、佐野にちなんだ和歌鑑賞のご参考になるところがありましたら幸いです!


