人丸神社

令和6年3月6日参拝

神社縁起より

当地は関東平野の北端にあたり、旗川と秋山川に挟まて湧水が豊富である。湧泉池は市指定天然されている。また、田中正造翁・小堀鞆音の生誕地として有名である。両者とも、当神社に対する信心は深いものがあった。正造翁の妻カツは正造のために百度参りを行っている。

御祭神柿本人麻呂公の詠まれた歌

下野の
安蘇野の原の
朝明けに
もやかけわたる
つづら草かな

つづら草というのが、どういう草か知らなかった。

調べてみたら、漢字では「葛」と書き、「くず」のことである。

佐野には葛生(くずう)という地名がある。

万葉の古来より、このあたり一帯は葛が自生していたのだろう。

ただ、人麻呂が詠んだのが、本当に葛であったかどうか。

奈良時代は春の花といえば梅だった。

いまは桜である。

植物ではないが、昆虫だと、平安時代は「こおろぎ」のことを「きりぎりす」と呼んでいた。

そんなことを思い出して、つづら草のことを調べて「葛」だと分かったけれど、にわかには信じないことにした。

神社の裏を歩いてみた。

畑が続き、その奥には緑に覆われた小高い山が連なって見える。

ここは日本で一番広い平野の北の端だ。

目の前に見えている山は、関東平野を北上した人が初めて目にする山である。

人麻呂が生きていた飛鳥時代も、いまのこの風景と、そんな変わっていないような気がした。