中根東里「壁書」と、ある男の話

一、父母をいとをしみ、兄弟にむつまじきは、身を修る本なり。本かたければ
末しげし。

一、老を敬ひ幼をいつくしみ、有德を貴び無能をあはれむ。

一、忠臣は國あることを知りて、家あることを知らず。孝子は親あることを知り
て、己れあることを知らず。

一、祖先の祭を愼み、子孫の敎を忽(ゆるがせ)にせず。

一、辭はゆるくして、誠ならむことを願ひ、行は敏くして、厚からんことを欲す。

一、善を見ては法とし、不善を見てはいましめとす。

一、怒に難を思へば悔にいたらず。欲に義を思へば恥をとらず。

一、儉より奢に移ることは易く、奢より儉に入ることはかたし。

一、樵父は山に登り漁父は海に浮ぶ、人各其業を樂むべし。

一、人の過をいはず、我功にほこらず。

一、病は口より入るもの多し。禍は口より出づるもの少からず。

一、施して報を願はず。受けて恩を忘れず。

一、他山の石は玉をみがくべし。憂患のことは心をみがくべし。

一、水を飲て樂むものあり。錦を衣て憂るものあり。

一、出る月を待つべし。散る花を追ふ勿れ。

一、忠言は耳にさかひ、良藥は口に苦し。

延享四年正月廿四日

関東平野の北のはずれ、平地も尽きようかというまち。

宿場の賑わいから少し脇道にはいったお寺。

本堂からやや離れたところに、小さな家が建っている。

家というより、小屋と呼ぶのがふさわしい。

外のなりこそ粗末だが、中は座敷があり、家の体裁は整っている。

その小屋の前を通りかかった男がいた。

男はふと、家の中をのぞいた。

通りと家とを隔ているのは、背の低い垣根があるばかりで、通りからも家の中は容易に見られた。

戸は開け放たれているが、人の気配はない。

ここの家の主は、どこかに出かけているようだ。

座敷の中の空気が妙に落ち着いている。

男が家の主のことを知るのは、ずっと後のことである。

(未)

令和五年(2023)9月5日