佐野源左衛門常世の墓
令和7年7月3日調査
佐野源左衛門常世の墓について
今からおよそ700年くらい前の鎌倉時代、時の執権北条時頼が、出家姿に身をやつして諸国巡歴の折り、当地(当時は、山本の里という。)にさしかかり大雪にあい貧しい農家に一夜の宿を求めた。
宿の主人は、一族の者に領地を奪われて、この地に至り農業で暮している佐野源左衛門常世(つねよ)という武士であった。
常世は秘蔵の梅・松・桜の鉢の木を焚いてこの旅僧に暖をとらせてもてなした。
後に時頼が諸国の軍勢を鎌倉に呼び集めた時、常世は、やせ馬にむち打っていち早く馳せ参じたので時頼は、その忠節を賞し奪われた本領をもとに復したうえ、さらに鉢の木に因んで三箇の庄(加賀の梅田、上野の松井田、越中の桜井)を与えた。
常世は面目をほどこして山本の里へ帰ったという。
佐野市





