田中正造邸宅
令和6年3月6日訪問












田中正造邸宅
(説明文)
田中正造は一八四一(天保十二年)十一月三日、旗本六角家領名主・富蔵の長男としてこの地で生まれた。数え十七歳で父の跡を継ぎ、後年政治改良を志した正造は、 足尾鉱毒問題解決のため、東奔西走の日々を送った。異郷の地にあっても正造は古里を忘れず、小中村の農業と教育の振興を願って、自己の田畑と家屋を村に寄付し、 この世を去った。
道路に面し、西に表門を配して立つ二階屋は、正造の両親の隠居所で、不在勝ちな正造の留守を守ってカツ夫人が同居していた。
中庭を挟んで奥にある母屋は、構造・手法から十九世紀初めの建造と考えられ、正造が生まれ育った家屋である。この母屋には正造から依頼されて代々医師が住み、 村の診療所に当てられていた。
母屋の左側後方にある土蔵は、母屋と同じころの建築ど推察され、その半世紀後に解体修築した時期を示す墨書があった。
これまで、田中部の改造と修繕は繰り返し行われたが、 近年老朽破損の度が進み、邸宅を管理する小中農教倶楽部は、各方面から協力を得てその保存整備事業に着手した。この間、県道拡幅計画があり、邸宅を移設する現状変更も含めて、一九九〇(平成二)年二月に開始された事業は、ここにすべての工事を完了した。
一九九三(平成五)年三月 財団法人 小中農教倶楽部