東武佐野線堀米駅舎 2000年頃か? 貨物取扱まとめ

堀米駅の駅舎はこうしてみると、とても立派です。

子供のころは、古ぼけた建物という印象でした。

写真は2000年ごろに撮影したものでしょうか。

私が撮影したと思いますが、どういう経緯で撮影したかまったく覚えていません。

フィルムで撮影しました。

2000年ごろはフィルムがまだ全盛だったと思います。

堀米駅は貨物輸送が印象的な駅でした。

駅舎の北側には貨物専用のホームがありました。

堀米駅にふさわしい小さなホームでしたが、立派な屋根もついていて、いま思い出すと、鉄道が輸送の主役だった時代を彷彿させる、素敵な建築物でした。

貨物輸送について、まとめてみました。

  1. 全体概況:佐野線の貨物輸送の歴史的背景

東武鉄道では明治末期から佐野線を含む路線で貨物輸送を実施し、絹織物や石灰、石炭、セメント、石油など多様な物資を東京方面へ輸送していました。

特に佐野線では沿線産業と結びつく資源輸送が進展し、貨物列車は高度経済成長期の1960~70年代までが最盛期でした。

  1. 堀米駅とその周辺における貨物輸送

2-1. 側線と専用線の存在

構内には、かつて側線・専用線が分岐していた跡が確認されており、貨物扱いが行われていた痕跡とされています。

2-2. 主な輸送品目

石油:堀米駅に隣接して丸善石油株式会社の石油タンクがありました。丸善石油専用線があったとの記録があり、石油輸送が直接取り扱われていました。

石灰・セメント・ドロマイト:佐野線および葛生駅からの先の会沢線などではこれら鉱産資源の輸送が大きな比重を占めていました。

  1. 輸送の衰退と終焉

3-1. 全体的な貨物取り扱いの縮小

東武鉄道全体では、モータリゼーションの進展により貨物列車は急速に衰退し、2003年には鉄道による貨物列車が全面的に廃止されました。

3-2. 佐野線における終末期の様子

佐野線では、渡瀬・田島間の北館林荷扱所が最後まで貨物扱いを継続していました。堀米駅も遅くまでん貨物の取り扱いがあったともいわれています。

3-3. 現在の痕跡

現在は側線や専用線などの構造物は撤去され、駅構内に貨物の面影を残す設備はありません。ただ、貨物取扱を物語る歴史的遺構が感じられる一部構造が残されています。


冒頭の写真を同様のアングルから撮影した。2025年10月の様子。駅舎はなくなり、かつての駅の面影はない。

駅前の空地に自転車が多い。近隣は宅地化を進み、住宅が多くなったためだろう。

駅前には、東武鉄道堀米停車場設置記念碑が立つ。